初代吉松
初代の松井吉松は明治はじめの頃、伊勢の地にて生まれ、伊勢型紙を修行した。
その後、自分の腕を更に磨くため、明治29年、本所(現在の墨田区)にて伊勢型紙職人として店を構えた。
二代目福松
吉松の子福松は、父の後を継いで伊勢型紙職人となった。この時から、父から子へ技術を繋ぐ職人の形ができた。
福松は、伊勢型紙と江戸職人の違いと矜持を示すために、屋号を「松井形紙店」に定めた。
福松は太平洋戦争の時代を生き抜いたが、東京大空襲で本所の店は焼きだされた。
葛飾の地に居を定めたのは、その後である。
三代目喜松
福松の子喜松は、岩手に疎開していたため、大空襲の難を逃れた。戦後復員してきた福松に師事し、伊勢型紙職人の後を継いだ。喜松は職人としての技量が評価され、葛飾区の伝統工芸士に認定された。
四代目喜深子
三代目喜松は、職人の家系は自分の代で畳もうと決意していたが、長女の喜深子が後を継いだ。
喜深子は高校卒業後に喜松に弟子入り。丁寧に教えるというよりは、背中を見て覚えさせるタイプであった父喜松の技を盗む日々が続いた。その努力は実を結び、女性として初の葛飾区の伝統工芸士に認定された。
現在は、伊勢型紙を現代風にアレンジするなど、伝統工芸を次代に繋げるための努力を日々続けている。